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『正しさ』とは何か~『好き』に従えばストレスは減る [ストレスを溜めない考え方④]


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正しいことは良いこと。
それを基準に言動を決めることも多いかと思います。
正しさを守れば守るほど、正しさから外れることに対して怒りを感じたりします。
その正しさ、どこからきていますか?




★『正しさ』とは

世の中の善悪、法律や倫理、一般常識やマナー。
すべて人間が創り出したものです。
そしてそれは、幼いころから親や学校などに教わることになります。
社会の正しいルールとしてそれが基盤になっているのです。

正しいルールとは、世界の人間たちの多数決で決まります。
多くの人がイヤだと思うことをすることを罰したり、
それをすると白い目で見られたりします。
多数決で決まるのですから、地域や国、人種でルールが違うのも頷けます。

そしてその多数決は、ひとりひとりの考えが反映されるのですが、
結局のところひとりひとりの考えとは、その行為が好きか嫌いかということです。
ということは、多くの人間がその行為をするのを嫌っていても自分が好きなとき、
自分の気持ちに従ったら法律に違反したり、ルール違反になるわけです。
なんとまあ、心地の悪い世界です(笑)。




★本当は『正しい』も『間違い』もない

物事が正しいか間違いかは、人間が決めるものです。
本来この世界で起こることすべてはニュートラル。
どちらでもない、中立です。
すべてひとりひとりの主観で成り立っています。
完全に客観的な『正しさ』は存在しません。

ある人が正しいと言ったとしても、
別の人にとっては正しいとは限りません。
どちらが正しいのか?というのは愚問です。
だって、どちらも『正しい』と思っているのですから。
それを無理に多数決で判断するから、苦しいのです。
そして、どちらの『正しさ』すら意味を成しません。




★何を基準に判断すればよいのか?

まず、世界の『正しさ』に振り回されないでください。
その『正しさ』は自分にとっての『正しさ』ですか?
自分の気持ちに素直に従ってください。

では自分の『正しさ』は何が基準になるのか?
それは、『好き』という感情です。
自分がどうしたいか、を判断の基準にするのです。

例えば、誰かを殴りたくなりました。
でも、本当に殴ることをしたいのでしょうか?

殴りたくなったのはなぜ?
⇒馬鹿にされたから。
馬鹿にされたらなんでイヤなの?
⇒否定されていると感じるから。
じゃあどうして欲しいの?
⇒認めてほしい。
認められるとどう感じる?
⇒愛されていると思う。

自分の気持ちを掘り下げてみます。
結局のところ、殴りたいのではなく、認められたいのです。
そして認められたいというのは、愛されたいということです。

ああしたい、こうして欲しいは最終的には大抵、
認められたい、愛されたいに行きつきます。
それが分かれば、本当にその人に認められたいか、愛されたいか、
それに対する自分の答えで、認められるように頑張ったり、
あんな人に認められなくてもいいやと思えれば、スルーできます。

自分が本当はどうしたいか、に従う。
ただ、どうしたいか、何が好きかを間違わないようにしましょう。
自分や他人を傷つけたりするのは、本当に好きなことではありません。
他人を傷つける人間も存在するのは確かですが、
その人も本当にしたいこと、欲しいものは他人を傷つけることではありません。
ただ、それに気づくのはその人にとってはあまりにも難しいでしょう。
そのために法律や社会的ルールがあるのです。

そもそも自分の中の『正しさ』ですら、気分で変わったり、状況で変わったり。
ただそれが好きなだけなのに、「これが正しい!」といって押し出す。
こう考えると、おかしな話ですよね?
「リンゴは美味しい。」
これは単に、リンゴが好きなだけです。
これを正しいこととして他人に押し付けるのがおかしいことなのはすぐに分かります。
でも多数決で決まったルールやマナーや常識となると、
途端におかしさに気づかなかったりするのです。
こうして、『正しさ』による束縛が始まります。




★『正しさ』に縛られるのをやめよう

『正しさ』を主張すると、束縛が生まれます。
そしてその縛りが原因で大きなストレスを感じるようになります。
その『正しさ』に反するものに対して怒りやイライラを感じるからです。
でも、他人も同じように自分の『正しさ』を持っています。
人の数だけ『正しさ』とその理屈があるのです。
そしてそれは、『正しい』のではなく、その人の『好み』です。

あいさつするのが正しいと思っていると、あいさつしない人に腹が立ちます。
でも自分はあいさつするのが好きと思っていれば、
あいさつをしない人に対しては、あぁ、あいさつするのが嫌いなんだな、とか、
今日は機嫌が悪いのかもしれないなとか考える余裕もできます。
自分はリンゴが好きだけど、あの人はリンゴが嫌いと同じです。

そして『正しさ』に振り回されなければ他人を理解しやすくなります。
違う道を選ぶという選択肢も増え、現実に変化をもたらす可能性も高まります。





起こることすべてに意味なんてありません。
仕組みとして人間は起こることに対して感情を抱くようにできています。
そこから、好き嫌いや幸不幸などを判断している訳です。
だから本当は、起こることと感情は何の関係もない。
物事が起こったときにどの感情を選択するかも、自分で決められます。
怒られた。だから、ムカつく。
褒められた。だから、嬉しい。
これも、単なる多数決です。
こうしたらこう感じる人が多いだけの話しです。
怒られた。だから、嬉しい。
褒められた。だから、ムカつく。
でもいいし、実際そういう人もいるでしょう。
だから、常に『好き』を選べばいいのです。

世界はニュートラルです。
もし1つだけ正しいことを言うとしたら、
自分の『好き』に従うこと。
世界はあなたの中にあります。

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